デビアスがダイヤモンドの価値を決めている?歴史から紐解くダイヤの価値

2020年4月14日 火曜日

デビアスがダイヤモンドの価値を決めている?歴史から紐解くダイヤの価値

INDEX

  1. 1. ダイヤモンドの歴史は紀元前にさかのぼる
    1. インドから西側諸国に運ばれ1400年代には貴族層に取り入れられる
    2. 1700年代にブラジル産ダイヤモンドが台頭し庶民富裕層にも広がる
    3. 1900年以降は富裕層から庶民の宝飾品へ
    4. オーストラリア・カナダ北部に新たな産出源を発見
  2. 2. ダイヤモンドの価値を守りながら世界に供給し続けているデビアス社
    1. デビアス社の創業は1880年
    2. ダイヤモンドの生産と管理を独占
    3. デビアス社が選定したサイトホルダーのみにダイヤモンドを販売
  3. 3. 古くからのダイヤモンドの価値が守り続けられている

「ダイヤモンドは永遠の輝き」というフレーズでも有名な「デビアス(De Beers)」は、ダイヤモンドの価値を究極的に高めた世界的な販売会社です。ここでは、ダイヤモンドが世界各地で産出されてきた歴史と、独占企業として高い価値を守り続けてきたデビアス社の変遷を紹介していきます。

ダイヤモンドの歴史は紀元前にさかのぼる

ダイヤモンドの歴史は古く、紀元前にさかのぼります。インドを発祥とし、産地を変えながらも安定した供給を続けてきました。

インドから西側諸国に運ばれ1400年代には貴族層に取り入れられる

紀元前4世紀、古代インドではすでに世界で初めてダイヤモンドが生産されていたと考えられています。ただし当時は非常に希少価値の高い宝石として、王族など一部の富裕層のために存在していました。

取引の量もごく限られたものでしたが、時代が進み西側諸国との交易が活性化するにつれ、キャラバン(隊商)によってダイヤモンドはヨーロッパへと運ばれ、1400年代になると貴族層のファッションアイテムに取り入れられるまでになりました。

1700年代にブラジル産ダイヤモンドが台頭し庶民富裕層にも広がる

1700年代はじめに入ると、インドで採れるダイヤモンドの量が減少。代わって、南米ブラジルが主要な産地として登場しました。
ある日、川の砂利の中から偶然発見されたことをきっかけに、ブラジルは一躍産出国として発展。そこから150年間にわたり、ブラジルはダイヤモンド市場の中心となりました。
150年後に産地が南アフリカに移るまでの間、ダイヤモンドは貴族のものから庶民の富裕層のものへと変化していきます。

1900年以降は富裕層から庶民の宝飾品へ

1800年代に入ると、欧米を中心に裕福層が増加。それにともない、ダイヤモンドが庶民のあいだで注目されるようになりました。また、1866年に探検家によってダイヤモンドの巨大な鉱床が南アフリカ・キンバリーで新たに発見され、ブラジルから南アフリカへと市場も移っていきました。

2019年現在、ダイヤモンドの市場は南アフリカに由来しています。1888年にデビアス合同鉱山株式会社が設立されてから、デビアスが独占的にダイヤモンドを南アフリカで採掘し、20世紀には世界の生産量の約9割を支配するようになります。

1800年以上にわたって限られた富裕層のものであったダイヤモンドは、豊富な鉱床と独占企業の登場により、1900年以降庶民のものへと一気に拡がっていきました。
1920年に入ると年間生産高は300万カラットに、さらに1980年には5,000万カラットに達し、1990年に入ると1億カラットを突破しました。

オーストラリア・カナダ北部に新たな産出源を発見

ダイヤモンドの需要増にともない、日本でも「ダイヤモンドは永遠の輝き」というフレーズでたいへん注目されるようになりましたが、1985年にはオーストラリアが産出源として登場。2000年にはカナダ北部に鉱床が見つかりました。

こうして、インド・ブラジル・南アフリカと推移してきたダイヤモンドの産出源は、また新たな場所へと移っていくことになります。

ダイヤモンドの価値を守りながら世界に供給し続けているデビアス社

デビアス社は1800年代に創業し、現在に至るまでダイヤモンドの価値を守り続けながら、世界にダイヤモンドを供給し続けています。

ダイヤモンドが庶民のものになるにつれて、価値の下落が問題視されるようになりつつありますが、かつてデビアスが創り出した仕組みは今もなおダイヤモンドの価値をそのままに伝えています。

デビアス社の創業は1880年

デビアス社の創業は、1730年から150年ほど続いたブラジルのダイヤモンド市場が衰退を迎える頃にさかのぼります。産出量が減少し、いよいよ枯渇を始めた頃、南アフリカ・キンバリーで巨大なダイヤモンド鉱脈が発見されました。

イギリス人の政治家セシル・ローズはこの発見に乗じて鉱山一帯を買収し、1880年、デビアス鉱山会社として新たな会社を設立。いくつかの鉱山を買収しながら合併を繰り返し、独占企業として発展しました。

ダイヤモンドの生産と管理を独占

セシル・ローズの死去後は、ユダヤ系ドイツ人であり金生産会社の創設者であるアーネスト・オッペンハイマーがデビアス社の役員に就任。

新たに生産者連合をつくりダイヤモンド生産量の調整を行いながら、一方で生産されたダイヤモンドを一手に販売する中央販売機構をつくり、ダイヤモンドの生産から販売までを一括管理し、世界のダイヤモンドを独占する機能を生み出しました。

デビアス社が選定したサイトホルダーのみにダイヤモンドを販売

現在、ダイヤモンド原石の使用は、デビアスが選定した「サイトホルダー」だけに認められています。(日本では田崎真珠/株式会社TASAKI) サイトホルダーはジュエリー業界での実績や財務諸表を厳しくチェックされ、審査に通過すれば販売会に参加することができるのです。

市場を独占するという方法は多くの議論を呼びましたが、ダイヤモンドを多くの企業が扱うようになると、価値の下落が加速してしまいます。その意味で、唯一無二の価値を守るために独占企業の存在が必要不可欠だったのです。

そして現在、デビアスがつくりだしたダイヤモンドの価値は、なおも守り続けられています。近年ではダイヤモンドを人工的に製造する技術や、オリジナルの加工が自在に行えるようになりましたが、オリジナルのダイヤモンドの価値もまた高く評価され続けています。

古くからのダイヤモンドの価値が守り続けられている

王侯貴族のものだったダイヤモンドも、今では一般に手に入るようになりました。しかし依然として高額であるのは、宝石や宝飾品としての価値を守り続けてきた伝統にあります。

デビアス社の戦略はきわめて独占的だと問題視されましたが、現在まで価値が守られていることを考えると、ダイヤモンド製品の販売戦略としては非常に効果的だと言えるでしょう。