人を不幸にさせる?呪われたホープダイヤの真相とは
2020年4月14日 火曜日
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ジュエリー業界では知る人ぞ知る「ホープダイヤ」。
アメリカの各州に置かれたスミソニアン博物館のひとつである国立自然史博物館に所蔵されているブルーダイヤで、そのサイズはなんと45.52カラット。婚約指輪などに使われるダイヤは0.2~0.5カラットくらいですので、いかに大きなダイヤモンドかわかりますね。もちろんただ大きいだけでなく、まるでサファイアを思わせるような濃いブルーは非常に美しく、これまで多くの人がホープダイヤに魅了されてきました。
ただ、さまざまな人の手に渡る間に「持ち主を次々と破滅させながら人の手を渡り歩く呪いの宝石」と呼ばれるようになり、恐れられる宝石としても知られるように。世界的にも希少な美しいブルーダイヤがなぜ呪いの宝石と呼ばれるようになったのでしょうか?
今回はホープダイヤが呪いのダイヤと呼ばれる原因になった歴史や名前の由来、本当に呪いは存在するのかなど、気になる情報をまとめてみました。
ホープダイヤの名前の由来はとあるフランスの銀行家
ホープダイヤは9世紀頃にインド南部の町コーラルを流れる川から発見されたといわれていますが、当初から「ホープダイヤ」という名前で呼ばれていたわけではありません。
その歴史をたどってみると、1660年頃にフランスの商人ジャン=バティスト・タヴェルニエがホープダイヤを購入。それから8年後の1668年に、フランス王ルイ14世がタヴェルニエからダイヤを買い取り、「王冠の青」「フランスの青」などと呼ばれるようになりました。
その後、長らくフランス国王が所有していましたが、1792年、フランス革命のさなかに窃盗団に盗み出されてしまいます。
以降、ホープダイヤの行方は一時的にわからなくなりましたが、1824年にフランスの銀行家であるヘンリー・フィリップ・ホープのコレクションに登録され、彼の名から取って「ホープダイヤ」と呼ばれるようになりました。
呪いのダイヤと呼ばれるようになった理由は所有者の度重なる不幸
さまざまな人の手に渡ってきたホープダイヤですが、呪いのダイヤと呼ばれるようになった理由は所有者が何らかの形で不幸に見舞われているからです。
伝説によると、ホープダイヤを最初に見つけた農夫はペルシア軍に殺害されていますし、ルイ14世に渡った頃からフランス経済は停滞し始め、ルイ15世は天然痘で死亡。
ルイ16世は王妃マリー・アントワネットとともにフランス革命で処刑されました。
さらにヘンリー・フィリップ・ホープの孫、フランシス・ホープは大富豪でしたが、ホープダイヤを相続後に破産。
ホープダイヤを買い取ったフランス人の宝石ブローカーは発狂した挙げ句に自殺し、その後ダイヤを手にしたアメリカの社交界の名士マクリーンに至っては一家全員が死に絶えたという伝説も流布されるようになりました。こうした度重なる所有者の不幸がホープダイヤを「呪いのダイヤ」といわしめる原因となっています。
ホープダイヤを持っていると本当に呪われる?
ホープダイヤを巡る呪いの伝説は世界的に有名ですが、本当に所有者は全員呪われてしまうのか…というと決してそんなことはなく、実は呪いの伝説には事実と異なる部分も少なくありません。
たとえば最初にホープダイヤを購入したタヴェルニエは熱病で死亡または狼に襲われて死亡とされていますが、実際には84歳で老衰で亡くなっています。マクリーンに関しては孫に遺言を残しており、一家全員死に絶えたという伝説は虚偽であることがわかっています。
そもそもホープダイヤの呪いは、1909年にパリの通信員が「悲惨な最期を遂げた」という架空の所有者を複数でっち上げてロンドン・タイムズに記事を投稿したのが発端とされており、呪いのほとんどはでっち上げだったのではないかといわれています。
この伝説に拍車をかけたのがフランシス・ホープと離婚したメイ・ヨーヘで、彼女が書き上げた「ダイヤモンドの謎」という著書には複数の架空人物が加えられていました。
なお、ホープダイヤを巡る伝説に脚色を加えた人物は他にもいるといわれています。
ホープダイヤの呪いは都市伝説。本来は非常に価値の高い宝石
以上のことから、現代ではホープダイヤの呪いは人の手によって生み出された都市伝説という説が有力視されています。ただ、都市伝説とはいえ、その呪いの伝説があることも人々を惹きつけてやまない理由のひとつになっているのでしょう。
現在はスミソニアン博物館に所蔵されているホープダイヤですが、価値にすると200億円とも300億円ともいわれており、世界でも有数の高価なダイヤであることは間違いありません。不思議な伝説をも生み出す魅惑のダイヤに興味があるのなら、ぜひ一度スミソニアン博物館に足を運んでみてはいかがでしょうか。